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  3. エネルギー学者 飯田哲也氏インタビュー :自然エネルギーとのまぶしすぎる出会い

GREENa LAB

「自然エネルギー」をめぐる、ヒト・モノ・コトの実験室

飯田哲也

2017.4.27 公開

「100%自然エネルギー」の未来は、100%やってくる。
エネルギー学者 飯田哲也氏インタビュー

3.11以降の日本のエネルギー問題、そして、自然エネルギーの未来とは?
最近では全国の「ご当地電力」支援に尽力する飯田氏に、エネルギーと電力について、正直なところを語ってもらいました。
日本の原子力業界から、北欧スウェーデンへ
そもそも飯田氏ご自身が、自然エネルギーに関心を持たれたきっかけというのは何だったんですか?
飯田
 僕はもともと大学、大学院で原子力を勉強して、その後、原子力産業の片隅に入って、さらに電力中央研究所に出向で行って、半分は電力会社の中の原子力の仕事を、残りの半分は国の原子力安全規制の仕事をやっていました。20代で、大学〜産業界〜電力会社〜国と、原子力についての仕事をひととおりして。30歳くらいのとき(1992年)、思うところあって北欧に渡ったんです。
 特にスウェーデンは1980年に国民投票で原発をやめることを決めていて、その後、エネルギーや環境をどんな風にしているのか学びたいなと思いました。1990年代のヨーロッパというのは、環境エネルギー革命の時代だったんです。それを目の当たりにして、本当に大きくエネルギーが変わっていくんだなという実感、90年代の大半を北欧で過ごした経験が、自然エネルギーに取り組む最大のきっかけですね。
ヨーロッパの中でも、特に北欧なんですね。
飯田
 今でこそドイツが一番注目されてますけど、ドイツは国がでかいので、合意形成も時間がかかるし、変化しにくい。
 それに対して、ドイツの1つの州ぐらいの大きさしかない、デンマークとかスウェーデンとかフィンランドとかオーストリアとかオランダ。ドイツを取り囲む国々は、非常に教育レベルも環境意識も高く、一歩先に社会的イノベーションを起こす。その変化がドイツを後押しして、ドイツが変わるとヨーロッパ全体が変わる、そういう力学なんです。
飯田哲也

90年代ヨーロッパの環境エネルギー革命
そういった環境意識の高い国々では、具体的にどんなことが行われていたんでしょう。
飯田
 環境に悪い要素に比例して税金を乗っける、いわゆる環境税を、フィンランド、スウェーデン、オランダ、デンマーク、オーストリアっていう国々が導入したのが、大体90年から92年。スウェーデンなんかは、CO2の排出が多い石炭などに炭素税という税金をかけていたんですが、原発に対しても税金をかけるんですね。核のごみ、放射能を出すということで。その動きに動かされる形で、ドイツも98年に環境税を導入しました。
自然エネルギーによる発電も、もう始まっていたんですか?
飯田
 デンマークは世界の中でも風力発電のパイオニアです。1984年に住民共同出資の風力発電を、電力会社が10年間、電気料金の85%の値段で買うという、国も間に入った3者協定が作られたんです。
 なんで85%かというと、自分の電気をそこで作って、電力会社の送電線を借りて、自分の所で使う。みなしですが、送電線の費用が3割ぐらい。個人で作る場合には7割の値段なんですけど、協同組合だからと電力会社も協力して、3割の送電線利用料の半分の15%を引いて、85%を電力会社が支払うのが決まったんですね。
 これが実はドイツのFITといわれる、固定価格買取制度の一番最初の出発点で。
FIT(固定価格買取制度)の原型は、その時代にできていたんですね。
飯田
 その後、ドイツが1990年に風力発電と太陽光を電気料金の90%の値段で入れるっていう法律を導入して、ドイツの風力発電がグイグイ伸びて。デンマークの仕組みをドイツがコピーして固定価格買い取り制度の最初の形ができたのが90年で、そこから風力が伸びた。
飯田哲也

太陽光発電はどうだったんでしょう。
飯田
 アーヘンという小さな町が、北の風が強い所は風力がいいけど、南では無理だからって、電気料金に税金を薄く広く乗せて、太陽光を電気料金の3〜4倍の値段で買い取る「アーヘンモデル」を作ってね。それをフライブルクとかベルリンとか他の自治体がまねして太陽光が普及した。
 1998年に緑の党が政権に入って、まだ生ぬるいということで、2000年からのEGになり、現代のFITになり、さらに11年遅れて日本のFITにつながるんですけど。
自然エネルギー革命は他の町でも連鎖的に起こっていったんですか?
飯田
 スウェーデンには森(木=バイオマス)のエネルギーで、100%自然エネルギー自立を目指して実現したベクショーという町もあるし、デンマークのサムソ島っていうのは、4%しかなかった自然エネルギーを、10年間で100%にするっていう目標を掲げて、実際に達成したんです。
電力を、パワーエリートから私たちの手に
北欧では自然エネルギーに携わっているのはどんな人々なのですか?
飯田
 私が原子力にいた時代に付き合ってたのは、みんな「パワーエリート」なわけですよ。パワーって電力のことでもあり、同時に権力でもあるんです。
北欧で新しいエネルギーに取り組む人たちっていうのは、全くパワーエリートの反対。ちょうどAppleのスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが、ガレージでコンピュータを生み出す西海岸のカルチャーに似てるんです。カウンターカルチャーというか、ヒッピーというか…
 そういう人たちが一段先に進んで、実際に事業、しかもローカルビジネスとして、いろんな仲間たちと非常に楽しそうに、自然エネルギーを作ることが、自分たちの地域の未来、子どもたちの未来をつくるんだということに、みんな目を輝かせて取り組んでいるんです。
まさに、自然エネルギー自体がカウンターカルチャーのようなものだったんですね。
飯田
 ダークスーツを着たパワーエリートの群れの中で会議をしているのと真逆の世界。すごく明るい。まぶしいばかりなんですね。その経験が非常に強烈で。
 しかもAppleのパソコンがそうであったように、90年代にはもう北欧やドイツでは、自然エネルギーが、単なるヒッピーの道具から本当に社会を変えるリアリティを持っていたんです。
 かつてジョン・レノン「パワー・トゥ・ザ・ピープル」がカウンターカルチャーというか、公民権運動とか、いわばヒッピーの人たちの1つのキーワードだったんですけど、それはまさに『Apple Ⅱ』のキーワードでもあり、自然エネルギーのキーワードでもあって。
 単に自然エネルギーが新しいとかクリーンだとかいうよりも、その強烈な経験があって、これこそ自分がやっていくべきことだなって思ったんです。
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